2008年12月21日

足りない何か

それをど素人の私がちょっと訓練に行ったくらいで、
「こりゃどうも」といただいて帰って来られないことくらい分かってる。
それでも行くからには、訓練大先輩のおかあしゃんが言うように、
どれだけ盗んで来られるかはとっても重要。
あんなに楽しい所へ行って手ぶらで帰って来る手はないのである。

日々ちったと接するたびに抱く小さな疑問の数々が、
折り重なれば周りが見えず出口なんて永遠にないように思えてしまう。
そうやって彷徨う時間はできるだけ短い方がいい。

例えば今日の訓練で。




ここのところ自主練習中に、
ちったの集中がふと途切れるのが目に付いて気になっていた。
それで練習に対する遊びの時間を増やしたり練習と遊びの順番を入れ替えたり、
おもちゃやおやつをいろいろ変えたりしていて大して効果が出ずにいた。

それからなかなか私以外の人に注目しなくて、方向としてはもちろん、
私以外の人を見つける訓練をしていくわけだからどうしたものかと考えていた。

今日の訓練までに自分で出した結論として、捜索直前までちらつかせて気を引いたおもちゃを
隠れ役の人に投げて、それで注意を向けさせることに。
以前は目の前でどんなに声を嗄らして呼んでもらっても、ちょっと距離ができるとすぐそっぽを向いていたのが、
おもちゃを目で追うことで自然に隠れ役の人を追わせることが出来た。
これは収穫。

ただ見つけてせっかく褒めてもらっているときに、やはりふっと焦点がずれてしまう。
これでは見つけることと嬉しいことが起こることを強く関連付けるのが難しい。
3回の箱を使った呼び込み捜索が終わった後、隠れ役の方がちったと遊んでくださった。

今日使ったおもちゃのボール(中におやつ入り)ですごく楽しく遊んでもらえるのに、
少しすると何か他の事に気をとられでもしたように別の方向を向いてしまう。
「おやつの方がいいかな」と差し出された食べ物への反応は長続きする。
隠れ役の方から、おやつの入った容器をおもちゃの替わりに投げてはどうだろうと助言をいただく。
なるほどそういう方法があることは聞いてはいたものの、自分で使おうと思うかどうかは
別問題なんだなぁ。

その後の服従訓練では、服従なんてどうせ楽しくないんだから、
いかに楽しいことと結びつけてやらせるかだろという今までの考え方が、
間違っていることに気づき始める。

これまでだって「服従」と言っても無理やりにさせるようなことはしてこなかった。
ただ服従自体は楽しくないんだろうからと私が思い込んでいたから
ちったももちろん、それほど楽しそうじゃなかった。
要するに飽きるし匂い嗅ぎとか走り回るとか、他にもっと楽しいことは
いくらでもあるような状態だった。

こんなもんかな、という感じでいた。
大して好きでもないことをさせているのだから、時間をかけて
これをがんばれば、もっと楽しいことが待ってるよと教えていくしかないんだろうと。

だけどそうじゃないという事実が、審査会を見学したときに
ものすごい勢いで迫ってきた。
探せる能力はあるようなのに、それを生かしきれない犬のどれだけ多かったことか。
始めて行った場所で何をすべきなのか、犬に的確に伝えてあげられなければ、
簡単にできるはずのことですら、一生かかってもできないことになってしまう。
達成した喜びで、ちったに満足感を味わわせてあげたい私としては
それでは意味がないのである。
そして常に危険が伴う現場で、ちったが自分の考えと意志で行動していく部分と、
私にはっきり従う部分とを使い分けられることは不可欠だとも感じた。

前回12月6日の訓練で、「脚側歩行の何であるかがまだ理解できていないから、
まずそれを教えてあげるように」と指摘されたちった。
緩急をつけたり、止まったり早く歩いたり、飽きる暇を与えないで、
一緒に何をしようとしているのかがとにかく分かるようにと思ってやってきた。
それでも今日のようにいつもと違う場所へ行くと、集中が途切れてしまう。

最初に私がやってみて、次に先生に見せていただくと
私の反応がどれだけ少なく、遅いかが良く分かる。
ちったって、いつもは私のこと好きで好きでしょうがないってくせに、
外に出ると私の声が届かなくなるんだよね、と思っていた。
魅力が足りないって言ったって、そんなの急にどうやって増やせばいいのやらと思っていた。
もっとびしっとしないと、と言われてもべたべたするのもやめる気はないし
どの辺りに方向を定めてやっていけばいいのかなぁ、と。

先生とちったの動くのや、他の方のするのを見ていると
まだまだ早く反応できる、もっともっとできる工夫はある、と分かる。
例えばおもちゃで気を引くとして、もっとこまめに、
ものすごくこまめに、ちったにおもちゃで遊ばせていい、むしろそうするべき。

先生は決して犬に無理強いしない。
それとは犬に分からないくらい上手に誘導してさせてあげておいて、
抱きついて頬ずりしそうな勢いで褒める。
ほんと? そんなに上手にできたかな。
これぼく得意みたいだからもっとやっちゃおうかな、と
犬のやる気がぐん、と上がるのが目に見える。
もっと言うと、先生とやるとぼく、何でもうまくできちゃうんだよね、と
犬に瞬時に思い込ませてしまう。
すごく簡単に出来るはずのことが出来なくても、決してがっかりしたりしない。
間髪入れずに流れるように他のことをさせて、褒めておだてて
数秒前に失敗したことをいとも簡単にやらせてしまう。
出来て嬉しいのは子供も大人も動物も、みいんな一緒なんだなとつくづく思う。
もちろん先生だって、声を荒げることもあれば犬を叱ることもある。
ただそれは十分に、先生にめろめろになっている犬だけに限られる。

先生の犬への接し方を見ていると、自分に何が足りないのかよく分かるような
その場で少し成長するような気分になれて、私も嬉しいのである。

ニックネーム こた at 19:55| Comment(0) | TrackBack(0) | 災害救助犬 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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