2008年11月22日

毎日楽しいことばかり

そもそも呼んだときに必ず来るようにしたいのは、
できるとかわいいからとか便利だからとか理由はいろいろあるけれど、
最終目標というか、根源的にはというか、
車の前に飛び出していきそうとか、牙をむきそうな相手に遊びと勘違いして突進してしまうとか、
そういう危険を回避するのが最優先事項なのである。


だから、「いざ」というときにちったが確実に合図を捕えられるように、
できるときとできないときがないようにじりじりと根回ししていくのが大事。
前回10月26日の訓練で思い当たった、

・ごほうびに工夫をして飽きさせないようにする
・訓練にかちっと切り替わるように、日頃から遊びへの盛り上げを形式づける
・合図の通りにしたらいいことがあって嬉しくってわぁびっくりっていう気持ちをもっと刷り込む

を頭においてのちったとの日々。


具体的には何をしているかというとまず、

・「合図の通りにする」と「嬉しいことがある」の関係をはっきりさせる:
 ご飯、散歩、遊び、嬉しいことは全部、上手に何かができた後に起こるようにする

ことだ。

これはいいと聞いてはいても、私の意識を変えることが難しくずっとできずにいたこと。
何か私のちったへの気持ちに条件をつけているような感じがして。
だけど前回の訓練の後、これから必要になることを箇条書きにしてみたら意識がぐるんと回転した。

誰だって褒められれば嬉しい。
そして効果の出方や反応にはそれぞれ個性があると思う。
単純におだてられればどんどんと伸びていく子、
褒めてもすぐには信じなくて、説得するようにじわじわと褒める必要のある子、
褒められること自体にはそんなに喜びを見出さない子。
ちったは褒められたことを誇れるというか、私の一喜一憂がちったにとっては一大事で、
私が世界のすべてでは困るんだけれども
とにかく私に対する関心が強いというのはいいことでもあるわけで、
それを強めることでいつでも必ずちったを安全に導けるようになれば
ちったの行動範囲はこれから先どんどん広がっていける可能性がある。
そのために事の輪郭をはっきりさせることは、決してちったへの気持ちに条件をつけることじゃない。
条件をはっきりさせることでちったの世界を大きくすることができるのだと気づいた。


だから基本は「いつも行動が先」ということ。
ちったの二大しあわせであるごはんと散歩は、現在のところ一番の悩みの種になっている、
おしっこをトイレでした後に起こる。
遊びたそうにおもちゃを持ってきたなら逆にこちらから合図を出して、
私主導の遊びに切り替える。
そもそも遊びのすべてが訓練のようなものである。
ごくたまには要求の通りに一緒に遊んで意外性を演出。
そして何の前触れもなしに、寝そべっているだけのちったに近寄っていって
撫でたり声をかけたりする。


一度「いつも行動が先」と心に決めてしまえば単純ではあるけれど、
重要なのはちったの喜びの度合いに大小強弱をつけること。
ちったにとってするのが難しければ難しいほど、その後に来る楽しみを大きくする。
簡単にできること、できるようになってきたことに対しては、量をだんだん減らしていく。
速さ、完成度にも比例させる。
楽しみだけが原動力にならないように、何かができた、
その達成感そのものを欲する状態にすることで、ちったが自ら行動するようになる。


それまでとりとめもなく流れていくだけだった楽しみが、印象的にはっきり起こるようになって、
最近は覚えること、しなきゃならないことが増えたわけだけど、ちったは前より楽しそうだ。
頭を使う、考える。
私の方から見れば私がいろいろのすべてを操っているようなものだけれど、
ちったにしてみればそれまでは偶然だった楽しみを、自分で起こせるようになったのだもの、
そしてその手段が日に日に種類を増す上に、確実なものになっていくんだもの、
今までで一番、「世界はぼくの思うがまま」な気分なんじゃないかな。


そのまま突き進んでほしいものです。

ニックネーム こた at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 訓練 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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