2009年09月17日

実りの夏、芽生えの秋

愛でるための花であると私は枯らしてしまいがち。
収穫できるものなら情熱も続くかも、と夏の初めに自然薯ときゅうりを植えた。


自然薯は生命力が強いという噂の通り、あっという間にベランダの天井に達し、
それゆえ葉に日が当たらなくなるという自業自得と片付けてしまうには
あまりにも切ない状況となり、収穫はどうなんだろう。
むかごご飯を楽しみにしているのにな。


一方のきゅうりは、タキイの種のホームページで見られる、きゅうりのかかりやすい病気、
片っ端から制覇しつつも一日に約一本の割合で、収穫できる大きさにまで育ってくれている。
長さが10cmくらいで収穫する品種。


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肥料だって、だんだんに鶏糞を盛っていっているだけなのに。
がんばるなぁ。







そしてこちらは我が家にやって来て2年ほどになろうかという、
私のかわいいがじゅまるちゃん。


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2回の越冬を経て今年の春頃大きな鉢に移し替えてあげたら、
見事に枝を広げるようになった。


日本だと沖縄が原産の木だから、
お水も根元だけじゃなく、上から降り注ぐようにあげるのが好き。
台風の多いお土地柄だもの。


見えるかな、葉っぱの間にある新芽。
この部分が伸びてだんだんに硬くなって、枝になっていくんだな。


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そうやってうっとりがじゅまるちゃんに見とれている間、
ちったはけなげにじっと待っていてくれる。


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なんておりこうさんなんでしょう、と感動しようとしたらこれ。


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「ここのこれ、食べ頃だよね。ちったのだよね。」


ああそうか、君は私と樹木との語らいを、広い心で見守っていてくれたわけではないのだね。



(注意:音うるさいです)






秋の気配も色濃いというのに、この毎朝の収穫は変わらず続いている。







そして。


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自然薯があらたに芽を出した。
この期に及んで、一体何を考えているのだろう。

ニックネーム こた at 21:57| Comment(2) | TrackBack(0) | ジャックラッセルテリア | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年09月15日

捜す犬 −更新のままならなかった間の成長の記録−

前回訓練の記事で久々に写真を載せられたと思っていたら、
まんまとちったが写っていなかった。


ので、遅ればせながら動いて捜すちったをご紹介。
これはだいぶ前、5月の時点で「箱」を使って捜索訓練をするちった。





本来まったく鼻だけを使って捜索をするわけだけれど、
そもそも「捜索」ってどういうことなのかを強化して刷り込む過程で、
こんな風に呼んで気を引いてから隠れてもらう練習もする。


ずいぶん手前で隠れているのにいきなり遠くまで走っているのには、

・この時風が後ろから吹いていたこと
・犬には奥から捜す習性があること

などまっとうな理由がある。


箱のずっと向こうまで行ってもその後一切呼びも誘導もしないのに
戻ってきているのが何よりの証拠。
きちんと風下で箱から出ている隠れ役さんの匂いをとって、
見つけたよ、ここだよ、と吠えに戻ってきている。
まあこの段階ではまだ「捜索」の意識づけがそれほどはっきりしていなくて、
はしゃいで草むらを走っていったという部分も
あるにはあったと思うのだけれど。


8月のお休みのちいっと前からだから7月に入った頃か、
いやそれよりもう少し前からだったかな。
指導手である私も訳の分からない間に、実はちった、上級者捜索の初歩、
みたいなことをするようになっていた。

いわゆる「広域捜索」という、ある範囲のどこに隠れているのか分からない数人を
匂いだけを頼りに探し出す、というもの。
初めは指導手が指示を出しやすいように、紐をつけたままの状態で、
それでもちったの感覚を最優先するように、ちったの後を私がついて行く形で行う。
ここでいう「指示」というのは要するに、特にまだ「人を見つける」という認識が
薄い段階で、
本当に自由にさせると何をすべきなのかを教えづらい、
途中から捜していることを忘れて遊んでしまいかねない、
それを防ぐというような意味合い。

それに指導手は、犬の微細な反応を見分ける能力を備えなくてはならない。
私なんかはまだ分からないことも多いけれど、
指導手も上級になってくると、吠える、いわゆるはっきりとここだと確定する前に、
空気に漂う隠れている人の匂いを犬が捕えた瞬間を見分けることができるし、
吠えるという動作ひとつをとっても、その中でどれくらいの近さなのか(状況によってはどこにいるのか犬は分かっていても、すぐ傍まで近寄れないこともある)とか、
どうも匂いはするのだけれど、はっきりどことは分からない、とか
違いを区分できる。


犬は漂ってくる匂いを捕えるわけだから、そういった場合には後は人間が、
建物の構造や地形、天気や気温の変化から犬がせっかく捕えている匂いの
発生源を推理して、可能な限り近づけるように誘導が必要なときも当然ある。


そういうこともいきなり犬を放して捜させると、
当然人間は犬にぴったりついて行けっこないから、
見落としてしまいがちになって、なかなか学べないことになる。
んじゃないかと思う。


それでえーちったにはまだ無理だよう、きっとヒントとかあげなきゃいけなくなると思うな、
まあそれでもがっかりしないんだだめもとで、などと
指導手にあるまじき思いを隠したり隠さなかったりしながら、
どこにいるのか見当もつかない隠れ役さんを捜索してみることになった。


結論から言うとちった、見つけられる。
私があっけにとられている目の前で、がんがん進んでわんわん吠える。
ただ当初はまだ、捜す対象ではない見学の人や、野生の動物に気を取られたり、
途中でふと集中が切れてしまうことも多かった。


それがこの間の訓練では、いつも必ず嗅いでいた、
動物の巣(野生化したフェレットがいるらしい、見たい)があると思われている辺りも
後から思い返せばまったく鼻を近づけることもなく素通りしていた。


相変わらず、「飼い主いらないな」と言われるくらい、よく成長しているちった。
が、最近になって思うのは、どうもちったは覚えが早くて、
後になっていろいろ悩み出す性質なんじゃないかってこと。
おすわりとかふせとか、果ては足の間の八の字くぐりまで、
教えれば何でもわりとすぐ覚える。
それが時間が経つにつれ、だんだん精度が落ちてくる。
こちらの出している指示を分かっていて、
そんなこといいから早くごほうびちょうだいよ、とか、
うろ覚えだからふとした拍子にこんがらがって、
「あれ、これでいいんじゃないの」と困惑する、とか、
訓練士さんからの指摘では同じ言葉でも私の発声が微妙に変化する、とか、
いろんな理由が混ざっているんだろう。

きっと苦労して苦労してやっと覚えたことなら間違えないし決して忘れないのに、
そこをすらっと通り過ぎるものだから、後になってあやふやになるんだろうな。

せっかくちったの大好きな捜索、後になってどうしたらいいのーっとならないように、
今から考えて、対策を練っていきたい。


ニックネーム こた at 18:56| Comment(2) | TrackBack(0) | 災害救助犬 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年09月08日

おとといの訓練

お久しぶりでございます。
みなさん暑さに負けずお元気でしたでしょうか。
しばらく見ぬ間にカウンターが1万を超えていました。
びっくり。


さて。
8月は暑さゆえ、無理はやめましょうとお休みになっていた訓練が、
この間の日曜日に再開された。
そして今回、私はこんなことになっていた。



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ブルーシートから頭だけ出して草むらでじっとしているの図






これはまだ人を捜す練習を比較的最近始めた子達用の、シートに慣れる練習での一幕。
ビニール袋のがさがさって音、苦手な犬は多いと思う。
ちったもそう、びくっとなる。
そして頭は出ているんだし、ただ座っているのと何が違うんだろうと思わないでもないけれど、
犬にとっては少しの違いが大違いらしい。
隠れている人のできるだけ近くへ行って吠えるのが基本で、それを理解している子でも、
例えば普段座っていることの多い隠れ役の人が地面に寝転がっているだけでも、
見つけて周りをうろうろして吠えなかったりする。

「何だろう、どうしたらいいんだろう。」

とでも考えているみたいに。


そういうことを踏まえて、苦手な音がしても臆せず近づいていけるように、
いろいろ変わった状況でも迷わず吠えられるように、こういう練習をする。


ちなみにこの日は近くまで来たら呼んであげるという練習方法だった。
とにかく人を捜すんだ、ということを認識させる。
その子の性質や訓練の進み具合によって、近くへ来ただけで、または吠えたら
ごほうびをあげて褒める。
そうやって繰り返して、「自分は人を捜してるんだ、見つけたらいいことがあるんだ」と
認識できるようになってきたらだんだん音で気を引かないようにしていく。


それでもできたはずのことが突然できなくなるときもある。
そうなれば無理強いはしない。
犬にとって訓練がいつも楽しいように、工夫をするのは人間の役目。


ちったは音なし、じっとしている人を連続で2人捜す組で訓練させてもらう。
少し前まではちょっと違う方向へ行くと、そのまま遊んだりしてしまいそうで
ひやひやしたものだけれど、
今回そんな心配はまったく無用。
放たれたらばーっと走って行き吠え、声をかけるとさあ次へとばかりに走り出して吠え、
終わってもあと4人くらいは捜すんだからというくらい前のめりだった。

楽しいんだなぁ、というかすごくやりがいがあって生き生きしていて、
そういう姿を見られて私も嬉しくて感無量、とかなっていると、
やっぱり「(必要なのは)犬じゃなくて指導手の成長だな。」とのお言葉。
そうなんだよね、よく分かっているのだけれど。
なかなか思うようにはいかないんだよな。

ニックネーム こた at 19:26| Comment(2) | TrackBack(0) | 災害救助犬 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする