2008年11月30日

すごかったね ちった

きれいな晴空の下、私たちは試験会場にいた。
まさか自分がそんなものに参加しようとは、半年前にも考えていたかどうか。

好奇心旺盛でいつも目をきらきらさせているちった。
そのわくわくをずっと持ち続けてほしいな、そのために私にできることは何かな、と
考えている中出会った訓練という選択。
何のことはない、ちったと私の間で決まりごとを作って遊んでいくことで、
今まで散らばってそれぞれにおもしろかったことが、ちったの頭の中であれもこれも繋がって、
ちょっとどこから行っても楽しいんですけどこれどういうことでしょう、となるように
回路を作り上げていくというだけのこと。

これから受けていくことになるいくつもの試験もその過程に過ぎない。
とは言え舞い上がった。何が大事なのか少しの間見失った。
そして目に見えるように、音でも聞こえてきそうにちったがぐんぐんと成長した、
そんな日だった。


まずは服従初級。全行程紐付き。

・横をぴったり付いて歩く。直線2〜30歩を往復。
・直線途中まで歩いてお座り、待てさせて対面、呼んで来させて自分の左横に座らせる。
・同じ要領で伏せ、待て、来い。
・高さ10cm程の木板を飛ばせて待てさせて自分が犬の右横に移動して座らせる。

紐付きだから、いざちったが言うことを聞かなかったりしても修正が効くという安心感。
座れ待てで私につられて一瞬動きそうになったものの再びの待ての合図で難もなく。
驚いてしまうのは、ジャンプを何のためらいもなくできるようになったこと。

ほんの2か月ほど前までは障害物を見るとどうしても避けて歩いてしまって飛ばなかった。
飛べないんじゃなくて横を歩けば済むのに何でわざわざ飛ぶんだろう、
と不思議がっている様子だった。
そのことを訓練でマリちゃんちのおかあしゃんに話すと、車の中にあったステッキで
ちったの身の丈に合った障害物をその場でしつらえてくれて、横を通れないようにするといいとか
最初は少し離れた場所から歩いて一緒に飛ぶといいとか教えてくれた。
それで一緒にぴょいって飛んで、すごいねーって喜んでいたのが昨日のことのようなのに。
今は障害物の前へ歩いていくと、飛びたくてうずうず、もういい?って私の顔を見るようになった。

それに元を辿ればこの犬は、
散歩中信号待ちで立ち止まるだけで早く行こうと鳴き始め止らなかったのだった。
それが短い距離とは言え、横に付いて歩くのが当然とばかりに立派にやり遂げた姿、
あの頃の私たちに見せてあげたいなと思う。
服従初級、合格。

ちったがもっとすごかった様子はまた後で。

ニックネーム こた at 20:18| Comment(0) | TrackBack(0) | 災害救助犬 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年11月24日

昼なお暗い藪の中

訓練4回目。
後半の私の視界はこんな感じだった。


IMG_6936_s.jpg





ひよっこちったはまだ参加しない内容の訓練。
映画「ジュラシック・パーク」では恐竜は動かないものを獲物として感知できない、ということで
息を潜めてじっとしているなんて場面があったな。
雨の中、地べたに座り込んで真逆の思いで音を立てずに待っていると、
犬が、雨も藪も傾斜もものともせず、私の匂いだけを頼りに探し出し、
他の人間が来るまで合図のためにそばで吠え続けてくれる。





(明るめにして撮った写真)

IMG_6935_s.jpg



本当に道に迷ったり動けないわけじゃないから心細いということはないのに、
それでも静かな(しかも寒い)中、遠くから聞こえてくる人が犬に出す合図の声や、
思いも寄らないところからする、犬の立てる小さな小さな足音、葉っぱの擦れ合う音、
そしてそれがだんだんに近づいてくるのには心底ほっとする。


一方のちったはというと、前半で私の横について歩く練習。
いつもはできてるもんね、と思ってもできなかったりするものだ。
今回は地面の匂いかぎがやめられなかったり、途中に犬がいるとそっちへ逸れてしまったり。
一応一通りこなせはするものの、一緒にしようとしている以外のこと、
ちった自身がそのときにしたいことを優先させてしまうときがあることについては、
もっとはっきりいけないことの合図を出すように言われた。
並んで歩くくらいなら、紐なしでも厳しく従わせることはできるのだけれどもね。
私の言うがままじゃなくて、ちったがすすんで合図どおりに動くようにしたいから、

・合図の通りにしたらいいことがあって嬉しくってわぁびっくり

の刷り込みを強化して続けることにする。
地面を嗅ぐことも、他の犬に挨拶に行くことも、それ自体がいけないわけじゃないからね。
合図で私に集中することを徹底できるように。


その後はちったにおやつをくれた人が10m弱離れたところに移動してしゃがんだら、
そこへ近づいていって吠える練習。
これは大丈夫。


その次。
「じゃあ今度はずっと離れて向こうを向いて待っててね」
「はい」
と言われるがままにして、振り返ると


こんな箱が、

IMG_6474box_s.jpg




平地にふたつ並んで置いてあって、そのどちらかにさっきと同じ人が入っているらしい。
らしいって今までに他の犬がしているのを見たことはあって、ちったも私が気を引きながら
箱に入ったのを追いかけるようにして来て吠えたことはあったのだけれど。
まさかひよっこちったがもうこんな試練に挑戦させてもらえるとは予想外で。
そんなだけどちったを見るとじっと箱の方を見据えている。
合図を出して放すと箱に向かって歩き出す、途中傍に立っている人の方へ寄って行きはしたが、
箱の中からこんこんと音を立ててもらったことも手伝って、ふうっと箱へ向かう。
みんなから離れて後ろ向きに立って、これは新手のじっと静かに待つ練習かな、
なんて思っていたところからまだあまり切り替えの出来ていない私をよそに、
しっかりこっちの箱の中に人がいる、と吠えまくっておやつをもらい
いっぱい褒めてもらっていたのだった。
実際は何だかすべてが夢のようで、はっきり覚えていないのだけれど、
ちったの方が何をどうするべきなのか分かっていたのは確かだな。


それまでは私とちった、一対一でこの手の練習をしていて、待てをさせて隠れて
それを解除すると同時に捜す合図を出して、しばらくちったが来ないでいると
まだ捜しているのか、そもそも何をするのか分かっているのかはっきりせずにいた。
見つけやすいように隠れたり音を出したりして、必ず見つけて褒めてもらって終われるようにして。
どうやらちったは何をするのか分かりつつはあるらしいことと、
私の目で見る限りでは余計な勘違いなどもなく練習できているようであることが、
今回の訓練で分かってよかった。
あとは面倒くさがらないで、工夫を怠らないで、ちったが楽しい、もっともっとって
思い続けられるようにしていくことだな。

ニックネーム こた at 00:00| Comment(2) | TrackBack(0) | 災害救助犬 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年11月22日

毎日楽しいことばかり

そもそも呼んだときに必ず来るようにしたいのは、
できるとかわいいからとか便利だからとか理由はいろいろあるけれど、
最終目標というか、根源的にはというか、
車の前に飛び出していきそうとか、牙をむきそうな相手に遊びと勘違いして突進してしまうとか、
そういう危険を回避するのが最優先事項なのである。


だから、「いざ」というときにちったが確実に合図を捕えられるように、
できるときとできないときがないようにじりじりと根回ししていくのが大事。
前回10月26日の訓練で思い当たった、

・ごほうびに工夫をして飽きさせないようにする
・訓練にかちっと切り替わるように、日頃から遊びへの盛り上げを形式づける
・合図の通りにしたらいいことがあって嬉しくってわぁびっくりっていう気持ちをもっと刷り込む

を頭においてのちったとの日々。


具体的には何をしているかというとまず、

・「合図の通りにする」と「嬉しいことがある」の関係をはっきりさせる:
 ご飯、散歩、遊び、嬉しいことは全部、上手に何かができた後に起こるようにする

ことだ。

これはいいと聞いてはいても、私の意識を変えることが難しくずっとできずにいたこと。
何か私のちったへの気持ちに条件をつけているような感じがして。
だけど前回の訓練の後、これから必要になることを箇条書きにしてみたら意識がぐるんと回転した。

誰だって褒められれば嬉しい。
そして効果の出方や反応にはそれぞれ個性があると思う。
単純におだてられればどんどんと伸びていく子、
褒めてもすぐには信じなくて、説得するようにじわじわと褒める必要のある子、
褒められること自体にはそんなに喜びを見出さない子。
ちったは褒められたことを誇れるというか、私の一喜一憂がちったにとっては一大事で、
私が世界のすべてでは困るんだけれども
とにかく私に対する関心が強いというのはいいことでもあるわけで、
それを強めることでいつでも必ずちったを安全に導けるようになれば
ちったの行動範囲はこれから先どんどん広がっていける可能性がある。
そのために事の輪郭をはっきりさせることは、決してちったへの気持ちに条件をつけることじゃない。
条件をはっきりさせることでちったの世界を大きくすることができるのだと気づいた。


だから基本は「いつも行動が先」ということ。
ちったの二大しあわせであるごはんと散歩は、現在のところ一番の悩みの種になっている、
おしっこをトイレでした後に起こる。
遊びたそうにおもちゃを持ってきたなら逆にこちらから合図を出して、
私主導の遊びに切り替える。
そもそも遊びのすべてが訓練のようなものである。
ごくたまには要求の通りに一緒に遊んで意外性を演出。
そして何の前触れもなしに、寝そべっているだけのちったに近寄っていって
撫でたり声をかけたりする。


一度「いつも行動が先」と心に決めてしまえば単純ではあるけれど、
重要なのはちったの喜びの度合いに大小強弱をつけること。
ちったにとってするのが難しければ難しいほど、その後に来る楽しみを大きくする。
簡単にできること、できるようになってきたことに対しては、量をだんだん減らしていく。
速さ、完成度にも比例させる。
楽しみだけが原動力にならないように、何かができた、
その達成感そのものを欲する状態にすることで、ちったが自ら行動するようになる。


それまでとりとめもなく流れていくだけだった楽しみが、印象的にはっきり起こるようになって、
最近は覚えること、しなきゃならないことが増えたわけだけど、ちったは前より楽しそうだ。
頭を使う、考える。
私の方から見れば私がいろいろのすべてを操っているようなものだけれど、
ちったにしてみればそれまでは偶然だった楽しみを、自分で起こせるようになったのだもの、
そしてその手段が日に日に種類を増す上に、確実なものになっていくんだもの、
今までで一番、「世界はぼくの思うがまま」な気分なんじゃないかな。


そのまま突き進んでほしいものです。

ニックネーム こた at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 訓練 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年11月05日

大勘違い

以前に、お留守番のたびにトイレ以外でおしっこをしてしまうことについて、
「片付けるのは構わないけれど、ちったがそんなに淋しい思いをしているのがしのびない」
と書いたけれど。

あれは暖かいときだから言えたことなのかも。
さすがにこの、陽の光も弱い、日照時間も短い季節になると、
そうのんきなことも言っていられないなぁ。
この季節になっても板張りの床に何も敷かずにいるのは結構辛い。
でも敷けそうにない。

うれしょんもするちったのこと。
私が出かけると淋しさのあまりうろたえて、トイレ以外でおしっこしてしまうのだろうと、
それは私が勝手にそう思いたかったのかもしれないな。
どうやらちったは、おしっこ自体をいけない行為と思っているらしいことが判明。
その証拠に私がユニットバス(ちったのトイレのあるところ)で足湯をしていると、
居間の柔らかい布の上で思いっきり済ませてくれていた。
その他にもちったのご飯の用意を台所でしているわずかの隙に、お布団にたっぷりとか。

家に来た当時すでに、「おしっこはトイレで」を覚えていたちった。
シートを敷けば確かにそこでする、
しかし目を盗んで他の場所でもする、という状態だった。
おうちが変わったんだから、しばらくは仕方がないのかもね、とゆったり構えていたが
これがなかなかおさまらない。
それを叱るようになると、今度は失敗が留守番中に集中するようになったというのが
そもそものはじまり。
叱ったのがいけなかったんだな。
ちったは、おしっこすると悪いことが起きる、と覚えてしまった。
しばらく経ってブリーダーさんに相談すると、おしっこは黙ってがっかりした顔で片付ける、
怒るとおしっこがいけないことと思うから、と言われたけれどもう遅かったんだな。
そう言われてからはまったく怒らなかったかというとそんなこともないし。

そんなわけで現在は、「おしっこするといいことがある」を刷り込み直し中。
トイレで済ませるたびに褒めてごほうびをあげる。
まったく関係ないときにもトイレで済ませた跡を見せてかがせて褒める。
失敗をなくすために、お留守番中は泣く泣く隔離。
目標は合図で私の前でトイレでおしっこできるようになること。
先は長そうだ。

ニックネーム こた at 19:26| Comment(4) | TrackBack(0) | 訓練 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする